こんばんは。
心理カウンセラーの伊藤憲治です。
今日は、こんなご相談をいただきました。
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私、地方公務員で、役所の窓口業務をしているんです。色々な方が来られるんですけど、
「〇〇に引越ししてきたんですけど『あれ』出しに来たんです。」
「『あれ』の手続きしにきたんですけど。」
「今日は『あれ』もうもらえます?」
といった感じで「あれ」という言葉を使って、具体的に「何か」を言わない方が結構いるんです。
お話の流れでわかるものもあるのですが、わからないものもあって、「あれってなんですか?」と聞いても「あれだよあれ」と返されてしまうんです。
この「あれ」で会話をしようとしている人は、「あれ」と言えば伝わると本気で思っているのでしょうか?まったく理解ができないんです……。
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窓口業務をされている方なら、きっと一度は経験があるのではないでしょうか。
「あれ」で片付けられてしまうと、こちらまで困ってしまいますよね。。。
この記事でわかること
- 「あれ」で通じると思ってしまう人の心理のしくみ
- 日本語という言語の特性が、この現象にどう関わっているのか
- 「あれ」と言われたときの、うまい対応の仕方
「あれ」で通じると思うのは、悪気があるわけではないのです
結論からお伝えすると、「あれ」を使う方の多くは、相手を試したり、面倒くさがったりしているわけではなく、無意識のうちに「相手も自分と同じことを知っている」と思い込んでしまっているのです。
これは心理学で「知識の呪縛(curse of knowledge)」と呼ばれる現象なのです。
自分がすでに知っていることは、相手も当然知っているはずだと、無自覚に前提にしてしまう心の働きのことなのです。
今回のご相談者様の場合、「あれ」と言っている方の頭の中では、転入届なのか、マイナンバーカードなのか、児童手当の申請なのか、すでにはっきりとした答えが浮かんでいるのです。
自分の中では明確だからこそ、それを言葉にする必要性を感じにくくなってしまうのですよね。
日本語という言語の特性も、大きく関係しているのです
もう一つの理由として、日本語そのものが持つ「高コンテクスト文化」の特性が挙げられます。
日本語でのコミュニケーションは、言葉そのものよりも、状況や関係性、これまでの文脈から相手の意図を読み取ることを重視する傾向が強いと言われているのです。
「あうんの呼吸」や「察する」といった言葉があるように、多くを語らなくても伝わることを良しとする文化的な土壌があるのです。
窓口に来られる方の中には、「役所の窓口なら、引っ越してきた人が何を求めているかくらい、当然わかるはずだ」という前提を、無意識のうちに持っている方もいらっしゃるかもしれません。
専門的な言葉を知らないことへの気恥ずかしさから、あえて「あれ」という曖昧な言葉に逃げてしまっている場合もあるのです。
目的が先にあり、手段である「言葉」が省略されてしまうのです
もう一つ見逃せないのが、その方の頭の中では「目的」がすでに達成されたつもりになっているという点なのです。
「あれを出しに来た」というとき、その方の意識は「あれ(転入届など)を提出して、手続きを終わらせる」という結果にすでに向かっているのです。手続きの名称という「手段」の部分は、その方にとってはすでに重要度の低い情報になってしまっているのですよね。
目的志向が強い方ほど、こうした「手段の省略」が起こりやすいと考えられています。決して意地悪をしているわけでも、相手を軽んじているわけでもなく、本人の中ではすでに話が終わっている、という状態なのです。
「あれ」と言われたときの、うまい対応の仕方
では、実際に「あれ」と言われてしまったとき、どう対応すれば良いのでしょうか。
おすすめなのは、「あれってなんですか?」とストレートに聞き返すのではなく、こちらから選択肢を提示してあげる方法なのです。
「あれ、というと、転入届のお手続きでしょうか?それとも、マイナンバーカードの件でしょうか?」というように、いくつか候補を挙げてお聞きすると、相手の方も「あ、それです」と答えやすくなるのです。
「あれ」を使う方は、決して意地悪で言っているわけではありません。
ただ、自分の頭の中の情報を、言葉にして相手に渡すという工程を、無意識に省略してしまっているだけなのです。そう考えると、少しだけ心に余裕を持って対応できるかもしれませんね。
🌿 今日のまとめ
「あれ」で通じると思ってしまうのは、悪気があるわけではなく、「相手も自分と同じことを知っている」という無意識の思い込みと、日本語という言語の文化的な特性が組み合わさって起きていることなのです。
相手を責めるのではなく、選択肢を提示してあげることで、コミュニケーションはぐっとスムーズになっていくはずです。
日々の窓口業務、本当にお疲れさまです
